乳幼児のRSウイルス重症化を防ぐ「母子免疫ワクチン」 原則無料の定期接種開始から1カ月半、現場の期待と課題

2026年4月、日本の予防接種行政は大きな転換点を迎えた。乳幼児に重い呼吸器症状を引き起こす「RSウイルス」に対し、妊娠中の母親への接種を通じて新生児に免疫を授ける「母子免疫ワクチン」の定期接種が開始された。

制度開始から1カ月半以上が経過した現在、医療現場や妊婦の間ではどのような変化が起きているのか。RSウイルスのリスクやワクチンの実態、そして社会的な意義について、山王ウィメンズ&キッズクリニック大森院長で産婦人科医の髙橋怜奈氏への取材をもとにその現状をまとめた。

9割が「持病なし」で入院するRSウイルスの脅威

RSウイルスは、2歳までにほぼ100%の乳幼児が感染するとされる極めて一般的なウイルスである。成人が感染しても軽症で済むことが多いが、生後6カ月未満の赤ちゃんに感染すると、細気管支炎や肺炎などの重症化を引き起こすことが少なくない。

注目すべきは、RSウイルスで入院する乳幼児の属性である。医療機関を受診した2歳未満の乳幼児のうち、約25%が入院に至っているが、その90%以上は基礎疾患を持たない「健康な赤ちゃん」だ。特別な持病がなくても、生まれたその日から誰もが感染リスクにさらされており、入院に至るリスクがあるという事実は、多くの親が見落としがちな盲点といえる。

さらに、乳幼児期の入院経験は将来の健康リスクにも直結する。統計によれば、RSウイルスによる入院経験がある子どもは、その後の喘息発症率や再入院率が、未経験の群(対照群)と比較して大幅に高い傾向にあることが報告されている。

【RSウイルス入院経験による将来への影響】

このように、RSウイルス感染症は単なる「一時的な風邪」にとどまらず、子どもの長期的な健康に影を落とす可能性のある疾患である。

「母子免疫」という新たな防衛手段

2026年4月から定期接種化された母子免疫ワクチン(アブリスボ®筋注用)は、妊娠28〜36週の妊婦に1回接種することで、胎盤を通じて胎児に抗体を移行させる仕組みである。

臨床試験では、RSウイルスに対する抗体が赤ちゃんに移行するため、生後3カ月以内での重症化予防効果が81.8%、半年以内でも69.4%にのぼることが実証されている。これまで任意接種では3万円前後の自己負担が必要だったが、定期接種化により公費で支援が受けられるようになった。

【インタビュー】産婦人科医・髙橋怜奈氏に聞く

山王ウィメンズ&キッズクリニック大森の院長であり、産婦人科専門医としてSNS等でも情報発信を続ける髙橋怜奈氏に、現場の状況とワクチンの意義を聞いた。

――RSウイルスワクチンが妊婦向けに定期接種化されたことを、どう受け止めているか。

髙橋)「RSウイルスは小児や高齢者に呼吸器症状を引き起こすウイルスで、生後1歳までに50%以上が、2歳までにほぼ100%の乳幼児がRSウイルスに少なくとも1度は感染するとされています。感染すると、2~8日の潜伏期間ののち、発熱、鼻汁、咳などの症状が数日続き、一部では気管支炎や肺炎などの下気道症状が出現します。

初めて感染した乳幼児の約7割は軽症で数日のうちに軽快しますが、約3割では咳が悪化し、喘鳴(ゼーゼーと呼吸しにくくなること)や呼吸困難、さらに細気管支炎の症状が出るなど重症化することがあります。また、入院例の7%が何らかの人工換気を必要としたとする報告もあります。

乳児期にRSウイルスにかかると気管支喘息になるリスクが上昇することがわかっています。また、お子さんが入院することで親は仕事を休んだりする必要があり、労働力の低下や経済的にも大きなダメージをおってしまいます。重症例の抑制や、将来の気管支喘息発症リスクの低下、入院などによる労働力の低下などを考えると、一律に接種ができるようになる定期接種化は素晴らしいと思います」

――母子免疫ワクチンの仕組みと有効性については。

髙橋)「母子免疫ワクチンとは、妊婦が接種すると、母体内で作られた抗体が胎盤を通じて胎児に移行し、生まれた乳児が出生時からウイルスに対する予防効果を得ることができるワクチンです。

RSウイルスワクチンの予防効果としては、RSウイルス感染症による医療機関受診を要した下気道感染症に関しては、日齢0~90日で約60%、日齢0~180日で約50%の予防、また重症下気道感染症に関しては日齢0~90日で約80%、日齢0~180日で約70%の予防効果が認められています」

――ワクチンの副反応や赤ちゃんへの影響など、安全性はどう考えているか。

髙橋)「主な副反応には、接種部位の症状(疼痛、腫脹、紅斑)、頭痛、筋肉痛があります。海外における一部の報告では、妊娠高血圧症候群の発症リスクが増加する可能性があるという報告もあり、結果の解釈に注意が必要であるとされていますが、薬事承認において用いられた臨床試験では、妊娠高血圧症候群の発症リスクの増加は認めませんでした。

またRSウイルスワクチンの成分は胎児には移行しないとされており、赤ちゃんへの影響はありません。SNSでは早産リスクが上がるのではないかという投稿がみられますが、それは日本で接種できるアブリスボ®筋注用とは別のワクチンのことで、アブリスボ®筋注用では早産リスクの上昇はみられませんでした」

――「新しいワクチン」ということで接種を迷っている妊婦へのメッセージを。

髙橋)「RSウイルスワクチンは、赤ちゃんが生後2か月以降に接種して母子手帳に記録するのと同じ『定期接種』です。国が積極的に勧奨しているものです。

新しいワクチンで心配かもしれませんが、様々なデータで入院が必要な重症例の抑制や、将来の気管支喘息発症リスクの低下のメリットがあることがわかっています。また副反応も局所反応が最も多くそれはすぐに収まります。SNSではたくさんの情報にあふれて心配になるかもしれませんが、正しい情報は厚生労働省のページにも詳しく載っています。私は妊婦さん全員に接種をお勧めします」

――定期接種開始(無償化)から約1カ月半、現場での反響は。

髙橋)「今まで3万円以上になったワクチンが無料で打てるのはうれしい、とか、上の子供がRSウイルス感染で入院して大変だったから自費でも接種したいと思っていたのでうれしい、という声があります。

SNSの憶測などで心配になっているという声もありますが、当院では説明すると皆様安心し、ほとんどの人が接種されています」

社会全体で支える「育児インフラ」としての期待

RSウイルス母子免疫ワクチンの定期接種化は、単なる医療費の助成のみならず、子どもの将来の健康を守り、入院時の付き添いなどによる家族の負担を軽減する「育児インフラ」としての側面を持つ。

「誰もが感染するから仕方ない」という認識から、「ワクチンで重症化を未然に防ぐ」という選択へ。不確かな情報に惑わされることなく、厚生労働省の発表などの正しい知見に基づいた選択をすることが、生まれてくる赤ちゃんを守るための大切な第一歩となるだろう。

【取材協力】
髙橋 怜奈(たかはし・れな)

山王ウィメンズ&キッズクリニック大森 院長。産婦人科専門医。SNSやYouTube等でも、女性の健康や妊娠・出産に関する正しい知識を分かりやすく発信している。

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